![Défilé Issey Miyake, Prêt-à-Porter, Printemps-été 1992 三宅一生 功績 スティーブ・ジョブズ オルセン姉妹 リアーナ ドージャ・キャット](https://hips.hearstapps.com/hmg-prod.s3.amazonaws.com/images/le-couturier-issey-miyake-et-ses-mannequins-lors-de-son-news-photo-1660109589.jpg?crop=1.00xw:1.00xh;0,0&resize=640:*)
Pool ARNAL/GARCIAGetty Images
三宅一生氏が持っていたパワーを手にすることができるのなら、多くのデザイナーはどんなことでもするだろう。84歳でこの世を去った彼は、アバンギャルドな革新性と大衆へのアピールという2つの世界を股にかけ、プリーツ入りのセットアップや、ひと目でわかる未来的なデザインの“バオバオ”バッグで広く認知されるようになった。
広島出身の彼は1970年にスタジオを立ち上げ、アトリエを個人的な実験室、あるいはおもちゃ屋のように扱い、服の“マッドサイエンティスト”となった。彼は自身の作品のなかに遊びをふんだんに取り入れ、半分に膨らんだ風船を帽子に見立てたり、スライスチーズのようなヘッドピースを作ったりした。さらにショーでは、1枚の赤い布で繋がったモデルたちを登場させたり、豪快なダンスパフォーマンスを披露したり、モデルの頭上に浮かぶ円盤型のバルーンを登場させたりするなど、遊び心あふれる演出を行ってきた。
彼が持つ深い喜びの感覚は、ファッション界に陰鬱としたムードが漂っていた時代であっても、その空気を一蹴していた。彼が、ともすれば“クールではない”感情と見なされがちな「幸福」を全面的に受け入れていたことは、7歳のときに広島に投下された原爆を目撃し、生き延びたというトラウマに通じていたのかもしれない。
世界史に残る悲惨な出来事を経験した多くの人々と同様に、彼は世界をよりポジティブな場所にすることに尽力し、『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムでは「破壊ではなく創造できるもの、美と喜びをもたらすものを考案するのが好きだ」と書いている。そして1973年にはパリコレデビューを果たし、日本のファッションを世界に知らしめた。彼のデザインは、その年の仏版『エル』9月号の表紙を飾っている。
三宅氏の実験的な感覚は、既存の衣服のあり方を押し広げたが、それは決して美術館に追いやられるようなものではなかった。彼の服は前衛的でありながら、静的な彫刻とはかけ離れ、展示するためではなく着るために作られたという視点を決して見失わなかった。「ウェアラブル(着用できる)」という言葉は、ファッション評論家たちが皮肉を込めたお世辞としてよく使う言葉だが、彼の服は最高の意味でその通りだった。「サイズインクルーシブ」や「ジェンダーフリー」といった概念が一般的になる以前から、サイズもジェンダーも超越していたのだ。1998年に設立された彼の「A-POC」(「A Piece of Cloth」の頭文字)ラインは、ゼロ・ウェイスト運動を先取りしたもので、顧客はチューブ状の生地から成形された洋服を、自分で切ってアレンジすることができた。
彼の知的で実用的なアプローチは、ファッション業界以外からも信奉者を集めた。実際に、同じくイノベーターであるスティーブ・ジョブズは、「イッセイ ミヤケ」の特注タートルネックを日々着用していた(ジョブズはかつて、自身の伝記を担当した作家のウォルター・アイザックソンに、「残りの人生で着用するのに十分な数を持っている」と語ったことがある)。また、建築家のザハ・ハディッドは、三宅氏のデザインをキャンバスのように扱い、洋服の表面に絵を描いていた。さらに、彼のコレクションはアート界においても定番となっていた。
三宅氏はフレグランスでも一躍有名になった。1992年に発売された最初の香水“ロードゥ イッセイ”は、水をベースにしたもので、80年代の重厚な花の香りに対する解毒剤的な役割を果たし、瞬く間にヒット。その後多くの人気香水が誕生した。彼の作る服と同じく、ボトルのデザインには構造とシンプルさへのこだわりが反映されている。その曲線的な円錐形のデザインは、三宅氏がパリの部屋から見たエッフェル塔に月が重なった様子からインスピレーションを得たとされている。
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彼は、マリアノ・フォルチュニ以来、おそらく誰よりもプリーツに力を注いできたデザイナーだ。1993年に発表された繊細な折り目のついた“プリーツ プリーズ”ラインは、ジョニ・ミッチェルからリアーナ、ドージャ・キャット、ソランジュ・ノウルズまで、多くの人々を魅了した(“プリーツ プリーズ”のメンズ版「オム プリッセ イッセイ ミヤケ」は、NBA選手のラッセル・ウェストブルックやアート評論家のアントワン・サージェントなどが愛用している)。快適でジェンダーレスなシルエットは、紛れもなく時代を先取りしたもので、彼が開発した熱処理システムのおかげで、プリーツ加工された洋服はかさばらず旅行にもぴったりで、洗濯しやすくメンテナンスが簡単になった。
ヴィンテージの「イッセイ ミヤケ」は、どの時代でも通用するし、季節に左右されることもない。また、2013年のCFDAアワードで小柄なメアリー=ケイト・オルセンが着用したように、どんな体型の人も着こなすことができる柔軟性を持つ。とはいえ“it”ブランドになることもなく、むしろファッションのなかで最も身近な存在として、長年愛用されている――三宅氏自身がかつて「流行しているものはすぐに廃れてしまいます。私は流行を作っているのではなく、服を作っているのです」と語っていたように。
Translation: Masayo Fukaya From ELLE US
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