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80年前の1942年、日本は戦争をしていました。前年の12月8日、真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争。各地で日本軍の攻勢が続きましたが、6月のミッドウェー海戦で大きな転換点をむかえます。また、物資の不足で、国民の生活も大きく制約されました。
1月、日本軍は南方資源の輸送ルートを確保するため、米統治下のフィリピンの首都マニラを占領。各地に侵攻していきました。4月にバターン半島で捕虜を収容所まで長時間歩かせた行為は「バターン死の行進」と呼ばれ、多数が死亡しました。
背広50点、もんぺ10点 靴下1点
2月、政府は物資不足に対応するため、衣料切符制を実施。「背広三つぞろい50点」「国民服32点」「もんぺ10点」「靴下1点」などと点数が決められていました。現金があっても、衣料切符がなければ品物を購入できませんでした。
4月、米軍は太平洋上の米空母「ホーネット」からB25爆撃機16機を発進させ、東京や横浜、名古屋、神戸などを空襲しました。米軍による初の日本本土空襲で、数十人の死者が出ました。指揮したドゥーリトル中佐にちなみ、ドゥーリトル空襲と呼ばれています。
6月、ミッドウェー海戦で、主力空母の「赤城」「加賀」「蒼龍(そうりゅう)」「飛龍(ひりゅう)」が日本の暗号を解読していた米軍の攻撃を受けて沈没。以降は戦況が逆転し、米軍の反攻が始まりました。
球をよけるな、交代も禁止 「幻の甲子園」
8月、文部省は「国民精神の高揚」のため、全国中等学校錬成野球大会を阪神甲子園球場で開催しました。全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)は開戦前に中止されており、錬成野球大会は大会史に記録されていないため「幻の甲子園」と呼ばれています。打者が球をよけることは「突撃精神に反する」と許されず、負傷以外の選手交代は禁止するなど、軍事色の強い決まりがありました。
10月、福井県では小型バスを改造し馬に引かせる乗合馬車の試運転が行われていました。戦前の米国による日本への石油禁輸を機に、営業用や自家用乗用車、バスなどのガソリン消費が禁止されていました。
1942年の日本を写真で振り返ります。(嶋田達也)
【写真まとめ】切符で服を買う、馬がバスを引く 80年前の戦時日本:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル
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