最小限の規模なのに濃密な空間もあれば、大規模ならではの多くの時間と手間をかけた説得力を感じさせる空間もある。東京・六本木の国立新美術館で開かれている「ファッション イン ジャパン 1945-2020-流行と社会」展は、豊富な出品作とよく工夫された展示で見ごたえのある展覧会だった。楽しみながらファッションと時代の流れを感じることができて、同時に今の自分の生き方と社会の関係について何かにふと気づくような内容だからだ。
展示は、1945~50年代から10年ごとに七つの年代、そして未来へと八つのパートに分けられ、実際の衣服や写真、映像、雑誌、広告ポスター、関係資料など約820点が効果的に配されている。また別枠のプロローグとして、会場に入ってすぐに設けられた1920年代~45年のパートでは、当時の人々の装いや光景の写真から、2020年代の今までの変化がどれほど急で大きかったのかと改めて驚かされる。しかし、モダンガールと呼ばれた女性たちや挿絵画家として活躍していた中原淳一が描く少女たちの装いは今見ても古さを感じさせない。
1950年代は戦後の復興期を経て、朝鮮戦争特需をきっかけに日本が経済成長に入った時期。後半には「太陽族」と呼ばれたサングラスにアロハシャツ姿の若者たちや、シンプルだがエレガントなサックドレスを着た若い女性のスタイルが流行した。しかし、スナップ写真に写った背景の街は戦後の混乱を色濃く残していて、女性はまだ和服姿が多い。
1960年代には経済成長が本格化して、好景気の明るい気分が広がった。そのせいなのか、ロンドンから入ってきたパンク、ミニスカートも、日本では権威への抵抗よりもおしゃれなイメージが重視されていたようだ。アメリカから入って流行したアイビールック(トラッド=トラディショナルの略で正統的の意)もまた、その名の通り権威への憧れと追従がうかがえる。
1970年代は、次の80年代の展示を見て気づくのだが、60年代から80年代への橋渡しの時期だった。1968年にパリで起きた“五月革命”など、欧米や日本の学生を中心とした反体制運動は、多分野に広がるカウンターカルチャーの変化を引き起こした。ファッションではミニスカートやジーンズとは対照的な民族服調の「フォークロア」や「ユニセックス」スタイルが流行した。そんな中で、60年代からニューヨークやパリに進出した森英恵、それに続く三宅一生らの服やショーの映像は、パリのオートクチュールが歌舞伎だとすれば、現代演劇のように見え、服としての完成度の高さでも決して劣らなかったことが分かる。
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服で感じる時の流れ 「ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会」展 - 朝日新聞社
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